一人ゴト〜ぐらすんとへきる〜

俺がへきるを知ったのは、コナミの某ゲームを題材にしたラジオドラマですかね。
それまで$とか声優とかも全然興味とかなかったんですけど、何となく興味を持ったのがきっかけでしょうか。
CDとかも1stアルバムから買っていました(つんくも持っているやつねw)
ま、CD買ったりド○カン聴いてる程度の在宅ファンだったんですけどね。


はまるきっかけとなったのが3rdシングルの"目を覚ませ男なら"。
この前あげた曲です。
そして俺がヲタ界に身を染める大きなきっかけになった武道館ライブですよ。


日刊スポーツだったかな?
追加公演の記事が大きく取り上げられ、芸能ニュースでも持ち上げられた。
それを見て一般チケを購入しライブに行くことになった。
これがなかったら今ごろはそこらにいる野球と競馬が好きな一般人だったんでしょうねw


その武道館ライブ。
とにかく衝撃でしたよ。ステージにそしてヲタのコールにただただ圧倒されるのみ。
若かったなあの頃はwww
もちろん一般チケで糞席だったわけですよ。そして思ったのはファンクラブに入ればもっといい席で見れるんだろうなと・・・
思ったらすぐ行動。結局はヲタの資質があったんだな(ノ∀`)アチャー
そして夏のツアーでは前のほうで見ることが出来てへきるの魅力にはまっていきました。
今思い返してもあの"届けたい想い"ツアーのステージは最高だったと思う。
エンターテイメントという意味で一つ完成されていたステージでしたね。


1年近くソロ活動をしていた自分に大きな転機が訪れたのが、ポップジャムでした。
まあ、ヲタなので普通に録画したわけですが、某掲示板(あの頃はオレンジだったかなぁ?)で映像が欲しいという声。何となくレスをしてあげることになったのが、伝説のヲタの一人である山○さんだったわけです。(一部ヘキヲタしかわかんねぇだろうなw)
たまたま同じ県内ということで手渡ししつつ初めてのオフとなったわけです。
その場でNKホールで行われるFCイベントに誘ったのがまた一つの転機となったわけです。


NHホール。
初の連番とともに大規模のオフに始めて参加。
ここで今も尚お付き合いさせていただいている凄いヲタの方たちと出会うことになりました。ヲタと連番することにより良席も増えてきて、更にへきるワールドに引き込まれていきましたね。
バンドメンバーも変わり椎名へきるといえばライブ。
そういう形が形成されてきた頃で荒削りながらもパワーのあるステージに魅了されていましたよ。
俺が今も尚、コンサートを最も重要視するのはこの頃があったからだというのは間違いない事実だと思います。


沖縄で行われたFCイベントにも行きましたね。
あれは掲示板で同行相手を探していくという行動を取ったんだよな。
沖縄では握手もしましたからね。
ハロヲタの今となっては握手もどうってことない気もしますが、あの頃握手したなんて英雄みたいなもんでしたからねw


1999年に入るとその活動もピークを迎えます。
NHKホールでは初めての最前列を体験。春、夏を年2回のツアーが楽しみでなりませんでしたよ。
ただ、同時にこの頃から椎名へきるの方向性とヲタの応援の仕方のでヲタの間で色々な論議が頻繁に交わされるようになって来ました。
簡単に言うとへきる自身がロックに向かっていく中、ヲタのPPPHやコールなどが合わないとかいう話になってきたんですよね。まあ、よく聞くような話ですよ。
そして同じタイミングでうざったいプロデューサーがライブ中のトークコーナーにしゃしゃり出てきて場を壊し始めなんとな〜く俺の中にも暗雲が立ち込めてきたのがこの頃だったかもしれません。
そしてそんなときに現れたのが市井紗耶香でありカントリー娘。だったわけです。
2000年のモーニング娘。の武道館コンサート。
これにいったことによりヲタ人生の分岐点を迎えることになりました。
何となく気を使わなくちゃいけないへきるに対して普通に楽しめるモーニング娘。のコンサートに引かれ、そしてりんねワールドのとりことなって行くわけです。


2000-2001年のへきるのカウントダウンコンサート。
俺の中で椎名へきるに一つの区切りが付いたのがこの公演だったかもしれません。
このときの昼の200回メモリアルコン、カウントダウンコンはホントに楽しかった。
思い出に残るコンサートでしたよ。


今でもへきるには年何回か顔を出しているのはただ打ちに行きたいってわけでもないです。
やっぱり時々見に行きたいなと思ったりもするんですよね。
俺にとっての故郷だし、ヲタに目覚めさせてくれた大切な場所ですからね。


あ〜書きつかれたw